2007-08-20

夏の墓石

完璧に晴れ渡った真夏の空から、強烈な太陽光線が降り注いでいる。
水平線の近くに入道雲が猛々しく沸いているが、上空に遮るものはない。
空は青く、樹木は濃密で、砂浜は白い。

誰もいない、小さな入り江の奥の砂浜だ。
海水浴場として整備されているわけではないし、背後の崖の上に県道が通っているが、そこから延々と獣道を降りてこなければならないので、まるで真夏の奇跡のようにその砂浜は静まり返っている。
凪の海は光を照り返しながら寡黙だ。
水平線は眩しく、光を湛えながら霞んでいる。

そして今、君は、全裸で海に向かって立っている。
両手を腰の当たりに回してがっちりと麻縄で縛られ、足首も括られているため、直立不動だ。
しかもその足元は、30キロを超える鉄球を取り付けられたまま、膝まで砂の中に埋まっている。

照りつける陽射しが過酷だった。
剥き出しの光線が、生白い君の貧弱な体を容赦なく焼いている。
君は頭髪と下腹部の陰毛を綺麗に剃り上げているため、太陽はダイレクトにあらゆる部分を曝け出している。
全身から汗が噴き出し、滝のように流れている。
この場所で立ってまだ一時間ほどしか経過していないが、既に肌は赤くなりつつある。
サンオイルも日焼け止めも塗っていない君の体は、文字通り夏の太陽に焼かれているのだ。

そんな君の体を、美しい女性が三人、鑑賞している。
三人とも、挑発的なきわどい水着姿だ。
三人は、ビーチパラソルが作る影の中で、冷たい飲み物を飲みながら、思い思いの格好で寛いでいる。
海を見つめて立っている君の視界の隅には、常にその女性たちの姿が入って、その視線を感じている。

君の周囲の砂の上には円が描かれている。
それは女性たちが一応時計のつもりで、足で適当に引いたものなので、雑だ。
しかし、君の影は、それなりに時刻を示している。
午後二時。
夏の日の夕暮れは、まだ遠い。

先ほど、女性のひとりが冗談のように軽く君の背中に鞭を打ったが、鞭の先端が背中の皮膚を打ったその瞬間、たいして強い鞭でもなく、普段の君なら耐えられるレベルの鞭だったが、君は激痛を覚えて悶えた。
焼けて敏感になっている肌には、鮮やかな跡がくっきりと刻まれた。
しかし、その痛みが、本当に鞭によるものなのか、日焼けのせいなのか、君にはもうよくわからない。
君の思考は、ぼんやりとしている。
直射日光の下に立ち続けているせいで、意識が朦朧とし始めているのだ。

そんな君のそばに、ひとりの女性が近づいてきた。
面積の小さな白いビキニに身を包んだ、スタイルの良い女性だ。
豊かなウェーブの髪が金色に輝き、全身に塗ったオイルの甘いココナッツの香りが君の鼻腔をくすぐる。
女性は、手に飲みかけのビールの缶を持っている。
そして、君の正面に立つと、哀れな君の全身をまじまじと見つめた後、ビールを一口飲んだ。
喉も体も渇ききっている君は、つい物欲しげな視線を向けてしまう。
その意思に気づいた女性は、小首を傾げて訊いた。
「もしかして、欲しいの?」
君の顔の前にビールの缶を掲げる。
「は、はい」
掠れた声で君は小さく言い、首を縦に振る。
すると、女性は「ふうん」と冷めた目で頷き、そのまま見せつけるようにまた一口ビールを飲んだ。
君はその喉の動きを注視する。
女性は、君を無視して、ビールを飲む。
そして、口に含んだと思ったら、いきなり君の顔に向かってにその口の中のビールを吹くように吐き捨てた。

不意を衝かれた君は、咄嗟に目を閉じたが、完全には間に合わず、ビールが目に入って激しく眼球が痛んだ。
すぐにでも手で拭いたかったが、あいにく両手を後ろで拘束されているのでどうにもならない。
君は強く目を瞑り、もがいた。
それを見て、女性は笑い、更にビールを君にプーッと吹きかける。
そして、「舌でも伸ばして舐めたら?」と軽く言うと、缶を君の頭上まで持ち上げ、そこで残っている中身を全部あけた。
全裸の君の体を、頭頂部からビールが流れていく。
顔にかけられたビールは温かったが、頭頂部から流れ落ちるそれはまだ冷たさを保っていた。
背後で見守っていたパラソルの中の女性のひとりが、笑いながら言う。

「なんかさあ、こいつ、日時計というよりお墓じゃない? ほら、お墓参りのときって、墓石に水をかけたりするじゃない?」

それを受けて、君の近くにいる、ビールを流した女性がこたえる。

「そういえば確かに……でも、こんな変態、どうせ生きてる価値ないし、ある意味お墓みたいみたいなものだから、お似合いじゃん」

そう言い、空き缶で君の頭をコツコツと叩いて同意を求める。

「そうでしょ?」

君は目の痛みに耐えながら頷き、「はい」と小声でこたえる。
それは、頷くというより、まるで項垂れているようにしか見えなかったが、女性たちにとって、君の反応などたいした問題ではない。

そんなことは、どうでもいいことなのだ。

2007-08-07

秘密のBarの片隅で

そのバーは、繁華街の外れにある小さな古い雑居ビルの地下にあり、看板も掲げず、ひっそりと営業している。
口コミと常連客に支えられた、秘密のバーだ。
店は、たいして広くない。
長いカウンターと数席のボックスがあるだけで、規模はそのへんのスナックと変わらない。
ただし、内装に安っぽさは微塵もない。
間接照明が微妙な陰影を落とす店内は、すべてにおいて重厚な雰囲気だ。

看板が出ていないといっても、イリーガルな店ではなく、ごく一般的なバーだ。
カウンターの後ろには世界各国の様々な種類の酒壜がずらりと並び、メニューは豊富だ。
ウイスキー、ウォッカ、ジン、ワイン、日本酒、とアルコールはたいてい揃っているし、カクテルの種類も多く、美しい女性だけで構成されたバーテンダーたちはみな美貌と技術のレベルが高い。
フードはつまみ程度だが、ここは飲み物を楽しむ場所なので、全く問題ではない。

しかし、他の巷のバーとは明らかに違う点がひとつだけ、この店にはある。
それは「裏メニュー」の存在だ。
もっとも、「裏メニュー」自体は、べつに珍しいものではない。
常連客に支えられた店なら、バーでもスナックでも小料理屋でも、食堂やレストランでも、存在する。
それでも、この店の「裏メニュー」は特別で、他の店にはまず存在しない。

その「裏メニュー」とは、「聖水」だ。
客は、女性バーテンダーの聖水をオーダーすることが可能なのだ。
「裏メニュー」なので、もちろん通常のメニューには記載されていない。
そして、バーテンダーを呼んで単に「聖水」とか「おしっこ」とか注文しても、出てこない。
この店では、「ゴールデン・シャワー」という言葉を使うと、それを飲むことができる。

飲み方は、様々だ。
オーダーすると、バーテンダーが目の前でそれを抽出してくれるが、それをどう飲むかは、客の自由だ。
もちろんストレートで生のまま飲んでもいいし、レモンスカッシュやコーラといった清涼飲料水、オレンジやパイナップル等ジュース類、あるいはジンやウイスキーや焼酎といった他のアルコールで割って飲むことも可能だ。
むろん、水割りやロックでもいいし、聖水をベースにしたカクテルもある。
具体的には、客はバーテンダーを呼んで、「ゴールデン・シャワーをストレートで」とか、「ゴールデン・シャワーとレモンスカッシュを二対一で」と注文を告げる。
また、オプションになるが、別途料金を支払えば、担当バーテンダーの唾液のトッピングも可能だ。

しかし、聖水は女性の生理現象に依存するので、注文したからといって必ずすぐに提供されるとは限らない。
そういう時、常連は、女性に自分が好きな飲み物を飲んでもらって生成を促す。
もっとも飲み物の摂取によって急速生成された聖水は、濃縮度の点で、なかには物足りなさを覚える常連も皆無ではない。
しかし劇的に飲みやすくなることは確実なので、概ね受け入れられていて、評判は決して悪くない。
どうしてもフレッシュで濃厚な聖水が味わいたいなら、開店直後に来店すればいいだけであり、実際、開店と同時に来店する常連は多い。
また、マニアックな客になると、あえて急速生成を希望し、強力な栄養ドリンクをリクエストして「滋養強壮には、栄養ドリンクで生成された美しい女性の聖水が一番だ」と言って、その十数分から数十分後に抽出される強いストレートを一息に呷る者もいる。
バーテンダーが摂取した飲み物によって微妙に変化する聖水のフレーバーの違いがわかるようになったら、「通」だ。


今夜、君は残業の後、久しぶりにそのバーのドアを潜った。
すると、平日の深夜に近い時間だったからか、店は空いていて、三人ほどの客しか入っていなかった。
静かにジャズが流れる中、君は、カウンターの隅のストゥールに浅く腰掛ける。
「いらっしゃいませ」
美しい女性バーテンダーが微笑みながら君の前に立ち、「どうぞ」と熱いおしぼりを差し出す。
君は「ありがとう」とそれを受け取ってから、「何をお出ししましょうか?」と訊くバーテンダーに言う。
「君のGSが欲しいんだけど、大丈夫かな?」
GSというのは、常連がよく使うゴールデン・シャワーの頭文字を取って略した隠語だが、バーテンダーは君がそう訊くと、ちょっと困ったような顔をして、申し訳なさそうにこたえた。
「すみません。さっきお客様にお出ししたばかりなので、少々お時間をいただけますか?」
君は頷く。
「もちろんです。では、待っている間にウイスキーの水割りを下さい。そして良ければ、あなたはペリエを」
「わかりました。ペリエですね」
そう言うと、バーテンダーはまずウイスキーの水割りを出した後、ペリエの壜を持ってきて、それを大きなグラスになみなみと注いで、君と軽く乾杯してから、全部飲み干した。
そして、二杯続けて飲んだ後、「少々お待ちください」と微笑んで、いったん君の前から立ち去る。

君は煙草に火をつけ、水割りをちびちびと舐めながら、カウンターの中で立ち働くバーテンダーを、時々見る。
美しい女性だ。
黒いジャケットに、黒いミニスカートを穿いている。
やがて、煙草を二本吸い終えた頃、先ほどのバーテンダーが君の前に戻ってきた。
「そろそろお出しできると思いますが」
「では、下さい。お願いします」
「かしこまりました」
バーテンダーはそう言うと、グラスを持ち、おもむろにスカートをまくって若干脚を開き気味にしたあと、手に持ったグラスを自分の股間の下に差し出した。
そして慣れた仕草でグラスの中に聖水を注いでいく。
この店のバーテンダーは、聖水抽出のために、全員、下着を着けていない。
そのため、抽出の際には、下半身が露出される。
君は、カウンター越しに覗き込むように少し腰を浮かせながら抽出の様子を見守る。
茂みの中に開いた亀裂から金色の雫が迸り出て、涼しげな音を響かせながらグラスの中に溜まっていく。
じきに、グラスが満杯になり、するとバーテンダーはいったん抽出を中断し、「一杯でよろしかったですか?」と訊ね、君が「はい」とこたえると、残りをカウンターの下に巡らされている排水のためのレーンへ放出した。
そしてすべての作業を終えると、ティッシュで股間を拭き、そのティッシュを使ってグラスの表面の水滴も除去してから、「お待たせいたしました」と君の前のコースターの上に、聖水のグラスを置いた。
そのグラスに注がれた聖水は泡立っていて、一見するとビールのようだが、もちろん違う。
急速生成なので色は若干薄めだが、金色に奥ゆかしさが感じられるし、芳香も独特だ。
「唾、入れますか?」
バーテンダーが訊き、君は、「お願いします」と頷く。
「かしこまりました」
バーテンダーはそうこたえると、カウンターの上のグラスに屈み込み、赤く塗られた唇を魅力的に窄めながら、三回に分けてたっぷりと唾液を聖水の表面に垂らした。
「どうぞ」
唾を出し終えたパーテンダーが手のひらでグラスを示す。
「ありがとう」
君はほんのりと温かいグラスを持ち、まず顔の前へ掲げた。
そして、グラスの縁に鼻先を近づけ、仄かに立ち昇る円やかで芳醇な香りを楽しんだ後、三センチほどを一口で飲んだ。
舌と喉でそれを十分に味わい、ゆっくりと飲み下す。
聖水の苦みに唾の甘みがアクセントとなって効いている。
「うまい。絶品です」
君はグラスを持ったまま、バーテンダーを見つめて言う。
「ありがとうございます。では、ごゆっくり」
バーテンダーはそう言うと、微笑みを浮かべ、君の前を離れた。

君は再びひとりになり、静かに聖水を味わう。
居心地の良い空間、クールなジャズ、そして美人のフレッシュな聖水。

至福の時間だ。