2008-05-24

スレイブ・トレイン

深夜。

単線の終着駅。

近くに人家などない山奥の、有刺鉄線で囲まれた工場のような敷地内に線路が引き込まれている。
駅名表示の看板すら存在しない殺風景で長いプラットホームだ。
ぽつんぽつんと灯る蛍光灯の明かりが寒々しい。
山間の空気は凛と冷えている。

空に浮かぶ月が煌々と輝き、世界を銀色に染めている。
ホームには、黒革のトレンチコートとブーツ、そして制帽を着て手に鞭を持つ女性が数人、列車の到着を待っている。

やがて遠くから鋭い汽笛が響き、列車が駅に近づいてくる。
徐々にその走行音が大きくなり、先頭の機関車のライトが闇の中に伸びる。
ホームに立つ女性たちが、居住まいを正してその到着に備える。
しかし、アナウンスの類いは一切流れない。

列車がホーム入線してきた。
長い貨物列車だ。
有蓋貨車が延々と連結されている。

ゆっくりと列車が停止した。
一斉に貨車の扉が開かれる。
そして、中から全裸の男たちがぞろぞろと降りてくる。

全員が首輪を着け、短い鎖で繋がれた手枷と足枷を装着している。
年齢は様々だ。
若者もいるし、年寄りもいる。
ただし、未成年はいないし、極端な老人もいない。
男たちの表情は、暗く沈んでいるわけではないが、明るく弾んでもいない。
彼らの目は、死んだ魚のようではないものの、ガラス玉のように澄んで虚ろだ。
誰一人として口を開く者はいない。
男たちはホームに出ると、そのまま列を組んで静かに出口へと向かう。
靴を履いていない裸足の人の群れの移動に於いて、物音はほとんど発生しない。

少しでも列を乱したり、歩調を合わせない者には、黒革のコートの女性の鞭が無言のまま容赦なく飛ぶ。

寡黙な人の群れの淡い影が、深夜のプラットホームを流れていく。
君もその列の中で心持ち背中を丸め、俯いて自分の裸足の足元だけを見つめながら、ただ前を行く男の後ろについて歩いていく。
何時間も狭く暗い貨車の中で床に膝を抱えて座り、じっと身を固くしていたので、全身が強張ってしまっている。
しかし、体を伸ばして凝りを解すことなど許される雰囲気ではない。
ホームの空気は緊張と恐怖感で張り詰めている。

冷たい夜風が全身を撫で、君は鳥肌を立てる。
萎えた性器が股間で頼りなく揺れている。
その存在を意識した瞬間、君の歩調が若干周囲とずれた。
すかさず、近くにいた女性から君の体に鞭が鋭く打ち据えられる。

「ひぃ」

君はその一閃に震え上がって思わず立ち止まり、反射的に身を竦めながら、咄嗟に声を漏らしてしまった。
その声と立ち止まったせいで、更に鞭が飛ぶ。
周囲の男たちは完全に無関心だ。
君は痛みに堪えながら怖ず怖ずといっそう体を丸めると、鞭を打った女性を覗くように見上げ、小声で「申し訳ございません」と頭を深く下げた。
しかし、女性の返事はない。
その代わり、女性は唇の橋を片方だけ持ち上げて冷ややかに君を見下ろした後、「進め」というように顎をしゃくった。

君はもう一度頭を下げた。
そして前の背中を追いかけるように急ぎ、列の調和に復帰していく。

2008-05-07

桜の檻

机のうえに、写真立てが置かれている。
シンプルな、アルミのフォトフレームだ。
その中には、満開の桜の写真が入っている。
仄かに白く、仄かにピンク色の花びらが、切り取られた世界の中で鮮やかに咲き誇っている。

君はパジャマ姿で椅子に座り、机に両肘をついて手を組み合わせ、その指先に唇を軽く当てながら、写真を見つめる。
何度眺めても、見事な満開だ。
まるで世界が祝福で溢れているような、平和で長閑で素晴らしい春の風景だ。
目を閉じると、甘い自然の香りが甦ってくる。
君は静かな夜の片隅で、その満開の桜を思い出す……。


四月。
例年より桜の開花が早く、君は平日の午後、美しい女性とふたりで桜を見るために高速で二時間の場所にある山里へ出掛けた。
平日ということもあって、快晴の高速道路は空いていたし、山里にも人は少なかった。
君は車を小川沿いの空き地に止めると、女性と二人で桜の丘陵の奥へと入っていった。

あたりは完全に静まり返っていた。
時折吹く小さな風が、足元の草や桜の梢を微かに揺らして、ささやかな葉擦れの音だけが二人を包み込んでいた。
日向の匂いが、甘かった。
女性が先に立ち、君はその若干後ろに続いてなだらかな斜面を登っていった。

やがて、桜の丘の中の、小さな集落を見渡すことができる開けた場所に出た。
花見のピークなら、きっと人が犇めく絶好のロケーションなのだろうが、幸い、周囲には誰の姿も見えず、桜だけが無言のまま咲き乱れていた。

どこかで小鳥がさえずっていた。
女性は、桜の木の間で立ち止まると、振り向き、君に向かって何も言葉は発しないまま顎だけをしゃくった。
君は頷き、その場で着ていた衣服を全て脱ぎ捨てて裸になった。
靴も靴下も脱いで、草と土の地面で裸足になった。
明るい陽射しが、君のすべてを照らした。
君はなんとも落ち着かない気分に陥り、本能的に股間を手で隠した。
すると女性がやはり無言のまま近づいてきて、君の頬を強く平手で打った。

「すみません」

君は小声で謝罪し、手をどけた。
猛々しく勃起している性器が、ピクンと跳ねるように股間で揺れた。
それは、卑猥な部分だった。
肉の棒は赤黒く、生々しく限界まで反り返っているのに、その周囲に毛はなく、まるで生まれたばかりの赤ん坊のようにつるつるとした肌を露出していた。
しかも、その毛を剃った部分の肌だけ妙に生白かった。

君の全身を、生温かい春の風がそよそよと撫でていった。
女性は鞄から麻縄を取り出すと、それで君の体を縛り、そのまま太い桜の枝に縄をかけ、君を吊るした。

瞬く間に、君は宙に浮いた。
視界を、桜の花が占めた。
その隙間に、山里の集落が覗いた。

女性は君を吊るすと、続いて長い鞭を鞄から取り出し、君を容赦なく打った。
しなりながら走る鞭の先が空気を切り裂く鋭い音と、君の体を打ち据える乾いた音が、静かな桜の丘陵に響いた。
君は鞭を打たれる度に体を捩り、うめき声を漏らした。
最初のうちこそぐっと奥歯を噛み締めるようにしてその痛みを堪えていたが、やがて皮膚が擦れて赤く染まりだすと、もう感情のコントロールが効かなくなり、君は我を忘れて絶叫した。

しかし、女性は鞭を止めなかった。
無言のまま、黙々と端正に鞭を振り続けた。
じきに君の体の皮膚が裂け、鮮血が背中や胸前から飛び散った。
仄白い桜の花びらに赤い血が降り掛かる。

ひとしきり鞭を打つと、女性は満足したように手を休め、煙草に火をつけた。
鞭を地面に置き、ゆっくりと君に近づいて、青息吐息で揺れている君の体を鑑賞した。
そして、それでもまだ勃起している君の性器を指先で弾き、その根元に煙草の火を押し付けた。

「うぎゃああああ」

君は弾かれたように身を捩った。
そんな君を見て、女性は微笑した。
そして、再び君と距離を取ると、デジタルカメラを構え、満開の桜の中に吊るされている君を撮影した。


……君はフォトフレームの中の写真にぐっと顔を近づけ、じっと凝視する。
すると、一見、満開のサクラを撮っただけのような写真が、生々しさを伴いながら別の景色を現していく。
目を凝らしてその写真を見れば、満開の桜の間には人間が吊られている。
もちろん、それは君だ。
君を包む満開の桜が、まるで檻のように見える。

君はそっと眼を閉じる。
すると体と心に鮮やかに、あの時の鞭の痛みと春の風の甘い匂いが甦ってくる。

いつのまにか、君は勃起している。
君は桜の山里を思い出しながらパジャマのズボンを下ろすと、屹立している性器を握りしめ、静かに擦り始めた。