2009-03-11

蹴ラレ屋

君には、周囲の誰にも言っていないバイトがある。
それは、「蹴られ屋」だ。
ふだんは地味なサラリーマン生活を送っているが、不定期で、人に蹴られるバイトをしている。
「人に蹴られる」といっても、相手は女性限定だ。
十分千円で、蹴られている。
客は別に殴ってもよいのだが、たいていの人は蹴る。
殴ると自分の手も痛くなるから、客としては、殴るより蹴った方が思う存分やれて、楽しいらしい。
だから君は「蹴られ屋」を自称している。

客は、主に勤め先の女性社員だ。
たまに、もちろん女性だがその友人たちや取引先関係の女性も混じる。
バイト自体は、約半年ほど前から始めた。
始めたというより、ただ単に始まった。
きっかけは、一回り近く年下の女性社員に午後の給湯室で「ほんとにグズいオヤジでムカつくわ!」とキレられ、そのまま足蹴にされた時、ついマゾヒストとしての部分が覚醒して勃起してしまい、それをその女性に発見されて、「おまえマゾかよ」と嘲笑われ、そのまま「だったら、これから先、十分千円払ってやるから、好きな時に蹴らせろ」と言われたのだった。

君はそれに従い、以来、「蹴られ屋」を始めた。
初めのうちはその女性社員だけが君を蹴っていたが、そのうちにその女性の同僚、友人、取引先関係、と客が増えていった。
君が女性たちに蹴られるのは、たいてい平日の夜だ。
午後の間にメールで注文が入り、就業時間の終了後、客が同じ社の人間なら事務所が入っているビルの屋上に呼び出され、十分千円で蹴られる。
違う場合は、別の場所がその都度設定され、君は出かけていく。
蹴られている十分間、もちろん君は一切反撃できない。
ただし、女性たちも、君の顔は蹴らない。
顔を蹴れば、跡が外から見えてしまうからだ。
君の体には既に青痣や打撲が耐えないが、幸い骨折はしたことがないし、顔は綺麗なものだ。
だから、客である女性社員たち以外、君が蹴られ屋であることは知られていない。


今日も、君は仕事を終えた後、ひとりで屋上へ向かった。
そして、無人の屋上の物陰でスーツを脱ぎ、全裸になった。
その時、三人の女性がやってきた。
客はひとりのはずなので、残りの二人は見物だ。
今日の客は、同じ部署の二十三歳の女性で、ふだん君は「クン」付けで仕事を命じている。
しかし、この屋上では、立場が逆転する。
君は股間を手で隠しながら女性たちの前まで進み出て、土下座をした。
客の女性が腕組みをしながら、床に額をつけた君の後頭部をパンプスの底で踏んだ。
そして、千円札を一枚、ひらひらと落とし、「拾え、カス」と言う。
君は、「ありがとうございます」と言って、頭を踏まれたまま手を伸ばし、目の前に落下したその千円札を拾った。
そして、丁寧に畳んで手の中で持つ。

女性は足をどかし、君の髪を掴むと、そのまま立ち上がらせた。
身長の高い女性なので、向かい合って立つと、君とほとんど背丈は変わらない。
しかし、女性は着衣、君は既に半勃起状態の全裸なので、人としての威厳に差があり過ぎた。

「足、開け」

女性は腕組みしたまま顎をしゃくって君に命じた。
その冷徹な眼に見据えられて、君は千円札を握りしめたまま、緊張しながら足を開いて立った。
次の瞬間、女性は君の股間を渾身の力を込めて蹴りあげた。
バスッ、という重い音がして、女性のパンプスの甲が君の陰嚢を真下から抉った。

「ぐえっ」

君は声にならない声を漏らして思わず飛び跳ねた。
衝撃で、息が詰まった。
さらにその貧相な胸板を、女性は後ろ回し蹴りのようなスタイルで蹴り飛ばした。

君はそのまま派手に後方へ吹き飛び、コンクリートに強く背中を打ち付けて蹲る。
女性がすぐに追いかけてきて、そんな君の体を連続で蹴った。
君は体を丸めながら「すいません、すいません、すいません」と呪文のよう小声で繰り返す。
その声を、女性たちの乾いた笑い声がかき消し、「すいません、じゃねえんだよ! どうせ勃ってんだろ、糞変態!」という嘲りの声とともに、女性は更なる蹴りを浴びせた。
実際、君は激しく勃起していた。
気がつけば、他の二人も笑いながら参加して君を好き勝手に蹴り飛ばしている。

厳密にいえば、千円しか受け取っていないので、君を蹴る権利を持っているのはひとりだけだ。
しかし、君に苦情を申し立てる勇気はなく、ひたすら体を丸めて蹴りの嵐に堪えている。
どうせ、いったん始まってしまえば大抵の場合、十分では終わらないし、最初の取り決めなどたいして意味はないのだ。
三人でこの場に現れた時点でこうなることは君自身、経験上わかっていた。

やがて、ずっと千円札を握りしめていた君の手が、つい開いてしまった。
その瞬間、手の中にあった千円札が、風に巻かれながらどこかへ吹き飛んでいった。