2009-07-09

終電後

最初は、軽い出来心というか、茫漠とした好奇心故の単純でたいして意味などない行動だった。
なんとなく始まり、なんとなく終わる、そんな暇つぶしの一種のつもりだった。


君は金曜日の夜の最終電車に揺られていた。
適度に混んではいたが、通路に立つ人は疎らで、君はロングシートの端に座ってネクタイを弛め、駅の売店で買い求めたスポーツ新聞を読んでいた。
通勤でいつも使っているいつもの路線だから、いちいち駅名のアナウンスに注意を向けていなくても、体が、感覚が、乗車時間を憶えている。

君は、少し酔っていた。
二時間の残業を済ませた後、同僚と居酒屋で飲んだのだ。
しかし飲み過ぎてはいないので意識はしっかりしているし、息は酒臭いだろうが、頬をほんのりと赤らめている程度だ。
それでも、最終電車の時刻だから、ふと気を抜くとさすがに睡魔に襲われそうになる。
単調なレールの音、静かな車内。
君はスポーツ新聞をぼんやりと読みながら、さりげなく、つと視線をドア付近へ向けた。

そこには、こんな遅い時間だというのに、制服姿の女子高生がドアに凭れて立っていた。
あんがい体格の良い女の子で、「肉感的」という言葉が君の脳裏に、ごく自然に浮かんだ。
女の子はグレーのカーディガンを着て、その下は臙脂色のリボンを結んだ白いブラウスで、紺色の短いスカートを穿き、ルーズソックスの弛みが踵を踏み潰したローファーで完結していた。
浅黒い肌、茶色い長い髪、スカートから伸びる太腿の張りが、君の視線を釘付けにした。

しかし、当の女子高生は、全く君の視線など気にも留めていなかった。
唇を時々アヒルみたいに尖らせながら、携帯の小さな画面を覗き込み、一心不乱に何やら入力していた。
その指の動きは速く、まるで魔法のようにしなやかだ。
君は探るような視線を新聞の紙面の端から控えめに向けながら、携帯の手許から太腿の量感へとスライドさせ、しばしその視界を楽しんだ。

やがて列車が減速し、駅のプラットホームに滑り込んだ。
まだ君が降りる駅よりは三駅ほど手前だった。
君は車内に流れた車掌のアナウンスでそれを確認し、スポーツ新聞のページを繰った。
そのとき、例の女子高生が、携帯をぱたりと閉じ、足許に置いていたナイロン製の紺色のバッグを肩に掛けた。
君はその様子を見るともなく見て「ここで降りるのか」と思い、そう思った瞬間、よこしまな考えが頭に浮かんだ。

それは、酔いのせいだったかもしれないし、金曜日の夜という週末に向けた開放的な気分故かもしれなかったが、君はふとその女の子を尾行してみたくなったのだ。
むろん、尾行して、どこか人気のない場所で痴漢をするとか、そういう犯罪的な計画はなかった。
ただなんとなく後を尾けてみたくなったのだ。
そもそも君は生粋のマゾヒストなので、暴行魔のようなことに興味はない。
というより、そんな度胸はないし、たまたま暗い路地などがあればそこでその女の子に下半身を露出するとか、その手の変態的な行動ならかなり惹かれるが、しかし君は臆病な性格なので、脳内でそういう想像はできても、決して実行には移せない。
だから、そのときも「ちょっと後を尾行してみたい」という軽い気持で思っただけだった。

そして、実際に君は行動に出た。
列車がホームに滑り込んでドアが開き、その女子高生が下車すると、君もさりげなく席を立ち、列車から降りた。
ホームは閑散としていた。
女子高生は悠然と、君の数メートル先を進んだ。
君は生まれて初めて下車した駅の見慣れない景色に軽い戸惑いを憶えながらも、一定の距離を保ちながら女子高生の後について平然と改札口へ向かった。


今、君の前方、数メートルの場所を女子高生が一人で歩いている。
君はその後ろ姿を眺めながら(むしゃぶりつきたくなるくらいいい体だなあ)と思う。
女の子のわりに意外に大柄なので、男としては小柄な部類に含まれる君と殆ど変わらない背丈だ。
短いスカートに包まれた尻の量感、そして肉付きの良い脚が絶妙だった。
君は周りに人の気配がないのをいいことに、舐め回すようにその後ろ姿を視姦しながら、内に秘めたマゾ性を膨らませ、(後ろからあの尻に抱きついてスカートの中に顔を突っ込ませて下着の股間に鼻先を埋めたい)なんて考えたりした。

いつのまにか、駅前のささやかな賑わいは途切れ、ぽつりぽつりと街灯だけが灯る狭い道に差し掛かっている。
住宅街だが、そろそろ日付が変わろうとしている深い夜の時間帯のせいか、どの家も静まり返っている。
その人気のなさに、君は(そろそろこのあたりでやめておいたほうがいいか?)と思った。
もしも前を行く女の子に気づかれて不審者扱いされたら最悪だし、どこへ向かっているのか自分でわかっていないのだから、あまり駅から離れると帰り道に迷ってしまう可能性もあった。
そんなことを考えているうちに、女子高生は道を外れ、公園に入った。

君は一瞬迷ったが、(もう少しだけ)と自分に言い訳して、女子高生と距離を置きながらその公園に入った。
そこは広い公園で、砂利敷の遊歩道のようなものが人工的に配置された雑木林の中を緩やかに蛇行しながら続いていた。
とはいえ、水銀灯が適度な間隔で灯っているので、それほど暗くはない。
ただし、砂利敷の道から外れると途端に闇が濃密だった。
前方を女子高生の後ろ姿が行く。
その後ろ姿を見ていたら、君の内部の深くから、ふしだらな欲望が沸き起こってきた。
無性に、君は性器を露出したくなったのだ。

君はかなり逡巡したが、しつこいくらい辺りに誰もいないことを確認すると、我慢できなくなって、ついにズボンのチャックを下ろしてしまった。
先ほどそう考えた瞬間から既に性器は完全に勃起していた。
君はその勃起した性器を引っ張りだすと、離れて進む女子高生の後ろ姿を見ながら、そっと茎を扱いた。
すると、痺れるような背徳の快感がせり上がってきた。
道が緩くカーブしていて、女子高生の後ろ姿が消えた。
君は勃起したペニスを握ったまま、心持ち歩を早めて消えた後ろ姿を追った。
そして急いでカーブを曲がる。

と、次の瞬間、君はフリーズした。
いきなり、目の前に女子高生が腕組みしながら立ちふさがったのだ。
君は勃起したペニスを握ったまま、足を止めて直立した。

「何つけてきてんだよ、てめえ」

刺のある冷たい声で女子高生は言い、君を見据えた。
君は咄嗟に(逃げよう)と思ったが、想定外の困惑と恐怖で動けなかった。

「あ、い、いえ……そのう……」

何か言わなければならないと思ったが、君の口から出る言葉はしどろもどろで、結局、唇を噛み締めながら俯いてしまった。
女子高生が、露出している君のペニスに気づいて、吐き捨てる。

「ショボいもん出しやがって、変態かよ」

そう言って、女子高生は正面から勢いよく君の胸元を蹴った。
君は後方へ吹き飛んで息を詰まらせ、そのまま蹲った。
想像以上に強烈な蹴りだった。
思わず跪いた君の後頭部を、女子高生は続いて何の遠慮もなく踏みつけた。
固い砂利が君の額にめり込み、何かの呪文のように君は謝罪の言葉を漏らした。

「すいません……許してください」

「あ? 許す?」

女子高生は君の髪を無造作に掴むと、そのまま上方へ引っ張り、それにつられて君が上体を起こすと、間髪入れずに強烈なビンタを張った。

「なんなら、大声出して『痴漢ー』とか叫んで、警察に突き出してやろうか?」
「そ、それだけは……どうかご勘弁ください……」

君は無意識のまま自然に敬語を使って首を横に振り、土下座した。
警察に突き出されなんかしたら、もう君のささやかな人生は終わりだった。
だから、君は真剣に許しを請うた。
それは身勝手といえば身勝手極まりない、ムシの良い嘆願だったが、君に他の選択肢はなかった。
そんな必死にひれ伏す君の後頭部をローファーの底で踏みながら女子高生が言う。

「許してほしいなら、まずは何はともあれ誠意を示すもんだろ。そんなこともわからねえのかよ、変態オヤジは」

そう言い終わるや否や、女子高生は回し蹴りの要領で君の体を蹴った。
君は横へぶっ倒れ、掌に食い込む砂利の痛みを堪えながら体勢を立て直すと、再び土下座して額を地面に付けた。
もう砂利の痛みなど構っていられなかった。

「すいません。誠意……はい、わかりました、今、出します」

女子高生の言う「誠意」が「現金」を意味していることは、すぐにわかった。
だから君は慌てて上着の内ポケットを弄り、財布を取り出した。
そして、中から紙幣を全部抜き出した。
一万円札が二枚、千円札が三枚、財布には入っていた。
君はその紙幣を両手で持ち、女子高生に捧げる。

「お願いします。これだけしかないですが、どうかこれでお許しください」

君の目には涙が滲んでいる。
それは額や掌の皮膚に食い込んだ砂利やビンタや蹴られた痛みのせいもあったが、大半は自らの情けなさ故の涙だった。
自分で撒いた種とはいえ、大の大人が、おそらく自分の年齢の半分にも達していないであろう女子高校生に非を責められ、罵倒されて跪き、敬語で必死に許しを請うている。
大人として、社会人として、最低の状況だ。
しかしその倒錯した状況そのものに、君は痺れるように酔いしれていた。
マゾの君にとって、その被虐感と歪んだ構図は、このうえない快感でもあったのだ。

だから君は紙幣を差し出しながら、もう己の変態性には逆らわず、この際とばかりに或る願望をそのまま口にしてみることにした。
どうせ、もうありえないくらい最悪な状況だし、ダメモトのつもりだった。
君は意を決するように唾をごくりと飲み込むと、涙が滲んだ捨て犬みたいに哀れな眼を女子高生に向けて言った。

「こんなことをお願いできる立場ではございませんが……」
いったん言葉を切り、続ける。
「よければこのお金全部で、どうか今履いていらっしゃるパンティを買わせてください! お願いします!」

君は地面に這いつくばり、もう恥も外聞もなく、仁王立ちしている名前も知らない女子高生を見上げながら、切実に懇願した。