2009-09-28

路の先

馴染みのない町。
片田舎と呼んでもそれほど差支えはなさそうな、典型的な地方の小都市だ。
人口はおそらく十万人に満たず、夜の帳が下りた今、特急が停車するJRの駅前だけがなんとか賑わいを見せているが、こういう町は大抵、繁華街を外れたバイパス沿いなどに大きなショッピングモールや家電や紳士服の店やカーディーラーや中古車店などがあり、駅前はそれほど栄えていない。
一応この町の駅前にも、アーケードが取り付けられた駅前商店街らしき道があるが、いわゆるシャッター通りの趣だ。
かろうじて明かりが灯っているのは、居酒屋やカラオケ店やコンビニくらいのものだ。

一日の仕事を終えた君は、駅前商店街の先にあるビジネスホテルに向かって歩いている。
夕食は、営業所の人たちと職場近くの店で済ませた。
「よかったら一杯」と酒に誘われたが、君は相手の機嫌を損ねないよう「どうも風邪気味らしく体調がすぐれないので」と申し訳なさそうに言って丁寧に辞退した。

しかし風邪気味というのは嘘で、飲みに行きたくなかった理由は別にあった。
君は早くホテルに帰ってひとりになり、デリヘルを呼びたかったのだ。
この町への出張が決まってすぐ、君はインターネットで風俗店を検索した。
ネット時代の今は、自宅に居ながらにして日本全国の風俗店の検索が可能だから便利な世の中だ。
ただ、検索はできたが、何せ片田舎の地方都市だから、それほど選択肢は多くなかった。
現地に入ればもう少し多くの情報が得られるかと思っていたのだが、実際にこの町に来ても、状況はたいして変わらなかった。
たとえばこの町のアパートやマンションに住んでいれば、集合ポストの中にチラシの類がいくつか放り込まれる可能性は高そうではあったが、あいにく君は単なる通りすがりだ。
一昔前だったら電話ボックスに名刺大のチラシがベタベタと張られていたりするだろうが、今はその電話ボックスすらあまり見当たらないし、まさか地元の人間に「いいデリはない?」と訊くわけにもいかない。
いや、君がごく普通の単なるスケベなら、軽い調子でそういうことを人に訊くことはできる。
勤め人が出張先で少々羽目を外すのは、別に珍しい話ではない。
しかし、君はマゾだから、最低でもソフトMに対応していないと満たされないため、そういう嗜好を開示しながら人に尋ねるのは難しい。
難しいというより、無理だ。
それでも、インターネットで探せる範囲の数少ない選択肢の中に、マゾの君にとって相当食指の動く店があった。
本当なら完全にSM系だと君としては言うことがないのだが、さすがに地方の小都市でデリバリー形態のSMクラブを望むなんて無謀で、少しハードルを下げてみたのだが、そうしたら『ギャルが苛めてあげるよ?』という謳い文句のデリを見つけたのだ。
その店の電話番号は既にメモ帳に転記してある。
勿論、持ち歩いている小型のノートパソコンの中のブラウザでも店のウェブサイトや風俗総合サイトの該当ページをブックマークしてあるし、インターネットに繋がらない場合に備えて念のためにオフラインでも保存してもある。
幸い、君が滞在しているビジネスホテルはネット完備だったので、そういった事前の備えは必要なかったのだが、あくまでもそれは結果論だ。
そして、これが一番肝心なことなのだが、果たしてビジネスホテルで呼べるのか? という問題に関しても、君は事前にクリアしていた。
予めそのデリに電話をして、滞在予定のホテルの名前を告げてデリバリー可能かどうか確認済みだった。
店側の人間いわく、「これまでに数えきれないくらい出張していますし全く問題ないです」ということだった。

君はホテルに入る前に軽いスナック菓子やビールや飲み物を仕入れておこうと考え、ホテル近くのコンビニへと足を向けた。
そのコンビニは商店街から外れていて、大きな通りに面してあった。
大きな通りといっても小さな地方都市のそれだから、往復四車線で中央に分離帯がある程度の道で、とくに賑やかなわけではない。
交通量もさほど多くないし、周囲にはその件のコンビニと、少し離れた場所にラブホテルの建物が目立つくらいのもので、あまり明るい通りではなかった。
そんな道をしばらく歩き、コンビニに近づくと、駐車場にふたりの女の子がいた。
コンビニの建物を背にして車止めの一つに座り、煙草を吸い、飲み物を飲みながら談笑している。
ふたりとも、たぶん十代かと思われたが、どちらの女の子も金色に近い茶の長い髪で、ゆったりとしたジャージの上下にサンダル履きだった。
典型的な都会系のギャルというより、非都会的なヤンキー風だ。
ひとりは黒、もうひとりはピンクのジャージを着ていたが、どちらのジャージも散々着古されて、若干色あせている。
君はその近くを通って、しかし怖いので目は合わさないようにしながら、(こういう女の子がデリで来てくれるといいな)と思いつつ、コンビニの店内へ向かった。
そして彼女たちと最接近した際、もちろん視線は地面に落したままだったが、(もしもここで今この瞬間ズボンのチャックをおろして勃起したペニスを彼女たちに見せつけたらどうなるだろう)と想像し、(たぶんあからさまに嘲笑され、場合によっては「てめえまじキモいんだよっ」とか言われながらボコられるかもしれないな)とその光景を夢想した。
その瞬間、君の分身がズボンの中で本当に激しく勃起した。
君は(ああ見せつけながらシコシコしたい。そして馬鹿にされながらボコボコにされたい)と強く思いながら、しかし表面上は何事もないように平然としたまま、コンビニのドアに辿り着いた。

マゾとしての君は、もちろんトラディショナルなスタイルというか、黒いボンデージに身を包んだ所謂「女王様」が好きだが、同時に、お世辞にも柄が良いとはいえないヤンキー風味のギャルも、かなりタイプだった。
むしろそういう素人チックな派手な女の子から理不尽に近い暴力や暴言を浴びせられることに、君は常々秘かな憧れを抱いている。
だから余計に今夜のデリは、楽しみだったのだ。
君はSMクラブの常連だが、クラブではなかなかこういうタイプとは出会えない。
そのあたりにいつも君は商業的なSMの限界を感じているのだが、残念ながら出会い系や街角で直接交渉する勇気も度胸も君は持ち合わせていないので、素人のギャル系のS女に関しては、半ば諦め、もっぱら妄想で自分を慰めている。
無論、今夜予定しているデリでも、コンビニの前でたむろしているようなタイプのギャルが来るのかどうかは不明だったが、店の謳い文句を信じるのであれば、やはり期待してしまう。

コンビニに入ると、客の数は疎らで、白い光に満ちていた。
ずっと暗い道を歩いてきた君は、その眩しさに少々戸惑いを覚えたが、すぐに慣れ、プラスティック製のバスケットを取ると、それを持って店内を回った。
ポテトチップや夜食用のおにぎり、ビールの350ml缶、ミネラルウォーターやソーダのボトルを次々にバスケットに入れ、しばらく雑誌を立ち読みし、成人雑誌のコーナーへ移動して、気分を高めるために風俗情報誌を一冊買うことにした。
そしてレジへ行くと、店員は若い女の子のアルバイトだった。
君は、平然と風俗情報誌を手に取り、平然とバーコードを読み取らせたその店員の表情を控えめに盗み見しながら、(どうせならもっと変態丸出しのえげつない雑誌を買えばよかった)と少しだけ後悔した。
もっとも、コンビニにそんなディープな雑誌は置かれていないから、それは元々無理な願望だった。

レジで代金を支払い、買った商品が入れられたビニール袋を提げてコンビニを出た君は、思わず瞬間的に、まだ駐車場の車止めに座って話し込んでいる女の子たちに物欲しげなM男的な目を向けた。
すると、偶然、そのうちの黒いジャージを着た女の子と目が合ってしまった。
君は慌てて視線を外した。
しかし視界の隅で、その女の子が吸いかけの煙草を指に挟んだまま怪訝そうな遠慮の全くない目を自分に向けていることに、君は気づいた。
それでも、君は無視した。
はっきり言えば、怖かったのだ。
ヤンキー系の女の子にボコられる場面を夢みても、小心で気弱な君にとって、実際のそういう女の子はやはり怖い。
妄想の中でなら、どんな変態的な行動にも出ることができる。
加えてここは自分の日常とは切り離された、馴染みのない町だ。
だから、旅の恥はかき捨てとばかりに、いつもの妄想を実現させる千載一遇のチャンスかもしれなかった。
たとえば「何か用ですか?」とか「もしかして未成年じゃないですか? 未成年がこんな時間にこんなところで堂々と煙草なんか吸っていてはいけないでしょう」とか、ほとんど因縁に近い挑発を試みて相手をキレさせ、「なんか文句あんのかよ、ウゼーんだよ、ちょっとツラ貸せ」みたいな展開に……という夢想の翼が瞬時にして君の脳内で広がったのだが、やはり行動には移せなかった。
そんな君の耳に、背後から彼女たちの声が届く。

「なんか、今のオヤジ、うちらの方をチラ見して、すげーキモかったんだけど」
「マジで? 変態なんじゃね?」

そんな言葉の遣り取りに続いて嘲笑的な爆笑が沸き起こった。
君はそれを背中ではっきりと聞きながら、しかし敢然と全く聞こえなかったふりを決め込んで、駐車場をゆっくりと普通の速度で横切り、明かりの乏しい道をホテルに向かって歩いていった。