「ねえ、ちょっと」
飼い主である美しい女性が、君を呼んだ。
広いリビングルーム。
女性はソファに身を沈め、長い脚を優雅に組んでいる。
全裸の君は、キッチンで食事の後片付けをしていたが、呼ばれて直ちにその足許へ駆け寄った。
そして跪き、深々と頭を下げて絨毯が敷かれた床に額をこすりつける。
「何か御用でございましょうか」
女性はストッキングの足で君の頭を踏み、地面に捨てた煙草を消すようにぐりぐりと踏みにじりながら、言う。
「なんかね、この頃、おまえに飽きたのよ」
君はその言葉に、まるで鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けたが、額を床にこすりつけて後頭部を踏まれたまま、ただひたすらじっと身を固くしていた。
それは奴隷の身分である君にとって、返答のしようがない言葉だった。
やがて頭から足がどけられ、君は恐る恐る顔を上げながら、飼い主に縋るような視線を向けた。
「あのう、何かわたしに問題があるのでしょうか。あるのならば、仰ってください」
君の体は恐怖で震えている。
そんな君を冷徹な微笑で見下ろしながら、飼い主の女性は煙草をくわえる。
すかさず君はテーブルの上のライターを取り、「失礼します」とその煙草に火をつけた。
女性は何も言わずその火に屈み込んで煙草の先に移し、煙を細く君に吹きかける。
「べつにおまえに問題なんか何もないわ。忠実だし」
「それでは、なぜ?」
「なぜ?」
ふっと顔貌から感情を消して女性は眉を顰め、座ったままいきなり君を蹴っ飛ばした。
「どうしてわたしがおまえにわたしの事情をいちいち説明しないといけないの!」
「申し訳ございません!」
後方へ無様に転がった君は直ちに体勢を立て直して再び女性の足許でひれ伏した。
恐怖が君を被う。
その頭を女性は足で踏み、静かに言う。
「とにかく、おまえはもう要らない」
「は、はい……」
「何か理由が必要かしら?」
「い、いいえ……必要ございません……」
君はひれ伏して頭を踏まれたまま小声でこたえる。
ふつうなら理由もなく一方的に捨てられるなんてこのうえなく理不尽な話ではあるが、君と飼い主の関係は「ふつう」ではないから、とくに問題はない。
君は命じられたら従うだけの、単なる奴隷だ。
生かすも殺すも、拾うも捨てるも、すべては女性の自由であって、君の意思など関係ない。
そもそも最初から「人間同士」の関係ではないのだ。
「だけど……」
女性は足を下ろし、爪先を君の顎に掛けると、そのままぐいっと上へ持ち上げて前を向かせた。
「おまえはまあまあ調教できているし、ただ捨てるのは、惜しいというより、ちょっと勿体ない」
君は激しく困惑していたが、その言葉の中に僅かな光明を見いだしながら、飼い主の次の言葉を待った。
どうか捨てないでください、という言葉が喉元までせり上がってきて出そうになったが、そんな発言が奴隷である君に許されるはずがないので、君はただ怯えていた。
女性が足を下ろし、続けて言う。
「だから、人に譲ることにしたわ」
そう言って、君をじっと上方から見つめる。
その瞬間、君は目の前が真っ暗になるのを感じた。
そして、足元がガラガラと音を立てて瓦解していくその壊音を心の中で聴いた。
「もうおまえの代わりに飼う新しい奴隷の手配もしてあるし、要するに、不要品のリサイクルってわけ」
女性は君の返事を待たず続いて自分の友人の名前を挙げ、「明日、おまえを取りにくることになってるから、今夜中に荷物をまとめておきなさいね」と言い、「もう、いいわ」と、まるで犬でも追い払うかのように手のひらをヒラヒラさせて君に下がるよう示した。
「し、失礼いたします」
君は再度深く頭を下げ、よろよろと立ち上がった。
突然の衝撃が大き過ぎて、何も考えられなかった。
ただ「絶望」という言葉が君の脳裏をふっとよぎり、そのまま居座った。
それでも、君にはまだ食事の後片付けという奴隷としての仕事が残っていた。
君は打ちのめされた気分でキッチンへ戻っていく。
そんな君の後ろ姿を、女性は微笑を浮かべ、煙草を悠然と燻らせながら眺めている。
2009-01-10
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