2006-09-16

ノクターン

心地よい夜の闇が君の全身を被っている。
広いテラスの向こうは、なだらかな芝生の庭、そしてその先は鬱蒼と樹木が茂る森だ。
高原の夜風は涼しい。
季節は真夏だが、空気の中に暑気はない。
どこからか虫の声が聞こえる。
もしかしたら、もう秋が近いのかもしれない。

君はテラスの中央で、全裸で直立している。
揃えた脚の足首には踝が触れるようにきつく枷がつけられていて、頭の後ろへ回した両腕の手首も、革製の枷で拘束されている。
君は高原の夜の中で完全に無防備だ。
もちろん性器は剥き出しで、その周囲の毛をすべて剃ってあるため、ひどく落ち着かない気分ではあるが、しかし不思議なことに妙な安堵も同時に覚えている。
明かりは、テラスに面した大きなガラス戸から漏れる室内の柔らかい光だけだが、その光の領域は君の周辺まで届いていない。
レースのカーテン越しに漏れるその灯は、窓辺をほんのりと照らしているだけだ。

その柔らかい光の中に籐製のゆったりとした椅子が一脚だけ置かれていて、そこに美しい女性が優雅に脚を組んで座っている。
端正な淡いブルーのスーツだ。
スカートは短く、決して太くはないが肉感的な白い太腿を惜しげもなく誇示している。
しかしテラスの外へ向いて立っている君に、その女性の姿は見えない。
それでも、君は背後にその女性の気配をひしひしと感じている。
女性は、手に長い一本鞭を持っている。
黒い革は艶やかに輝き、細くなっている先端がテラスの木の床に接地している。
それはまるで蛇のようだ。

「こっちを向きなさい」

女性が君に声をかける。
静かな声音だ。
しかし可憐という響きは皆無で、穏やかではあるが圧倒的な威圧感を秘めている。
君はゆっくりと振り向く。
もちろん手足をぎっちりと拘束されているため、迅速な動きは無理だ。
君は小さく跳ねるように、踵を支点にしながら小刻みに体を回転させ、やがて女性と向き合う。
そして、短いスカートの裾が更に若干めくれ上がって露になっている太腿の量感に一瞬目を奪われ、続いてそれとほぼ同時に、彼女の手に持たれている鞭の存在も認めて、恐怖と期待が入り交じったマゾヒスト独特の珍妙な表情を浮かべる。
女性が唇の端を歪めるようにしてあからさまに小さな嘲笑を漏らし、スローモーションのように脚を組み替える。
柔らかそうな太腿のラインが微妙な陰影を踊らせつつ躍動し、君は生唾を飲み込みながらその動作に心を捕われる。
それは一瞬の美だ。

女性は脚を組み替え終えると、いきなりその相貌から一切の感情を完璧に消去して冷徹な眸で君を見据えた。
君はその強い視線に縛られ、息苦しさを覚える。
本当ならすぐさま目を逸らしたかったが、そんなことをする権利は君にない。
君は怯えきったマゾヒストの目で探るように女性の視線を享受する。
たちまち君の股間に変化が起きる。
それまで中途半端に萎えていたペニスが、俄に屹立したのだ。
その変化を認めて、女性は小さく鼻で笑う。
ささやかな空気の流動が発生してそれが君に到達すると、君は更に勃起を固くしてしまう。

次の瞬間、女性がいきなり鞭を一閃し、その細い先端をテラスの木の床に叩きつけた。
鋭く短く、そして激しい音が辺りに響き、夜の静寂が引き裂かれる。
君はびくりと体を弾ませ、緊張する。
女性は優雅に笑っている。
君はその美しい表情を怯えた目で縋るように見つめる。
女性が毒々しいくらい赤い唇の間に小さく舌を出し、ゆっくりと上唇を舐める。
君の意識は、女性の唇の所作に集中し、自分を包み込む世界の輪郭が剥がれ落ちていく感覚に絡めとられる。

女性が鞭を振り上げ、そしてひゅんと空気を引き裂いてしならせると、勢いよく的確に君の貧相な胸板を打った。
鞭の先端が君の肌に炸裂した一瞬、世界を切り裂くような乾いた音が短く響いて、君の体を斜めに刻むように赤いミミズ腫れを走らせた。
君はその疝痛に思わず「うっ」と呻きを洩らしてしまう。
続けざまに何度も鞭がしなり、君の体を左右から打ち据える。
その一撃の度に君は不自由な体勢のまま体を捩り、呻き、そして喘ぐ。

鞭は自由に夜を裂き、君にその痕を刻み続ける。
君は涼しい夏の闇の中で、いつしか全身に汗を浮かべていく。