2007-06-05

古城にて

河のほとりに建つ、中世からそのまま残る古城。
暗鬱な灰色の空とその石造りの建物が、鏡のような川面に映っている。
山の中の静かな場所だ。
村の外れにあり、近くに人家はない。

その古城は、さして大きくはない。
いくつかの尖塔を持つ、三階建ての、こじんまりとした城だ。
現在の所有者は、その城を建てた公爵の血筋を引く家系の者だが、そこに住んではおらず、別荘のように使われている。
しかし、無人というわけではない。
普段は、委託された管理人が住み込みで常駐している。
管理人は年老いた執事然とした男だが、ときどき、定期的に近隣の村の商店に買い出しに出てくる他、滅多に城からは出ない。
そして、月に何度か、どこからか黒塗りのベントレーがやってきて、深夜の闇に紛れるようにしてその古城の門を潜る。
その後部座席に乗っているのはいつも若い女性で、運転手も常に同じだが、ベントレーは若い女性を古城で降ろすと、そのままどこかへと消え、数日後、再び深夜に現れると、やはりそのまますぐにどこかへと去っていく。

村の者たちも、その深夜に出入りしているベントレーに気づいてはいるが、話題にすることはない。
その古城とは、誰も関わりたくないからだ。
城は、村の人達にとって、不穏の象徴だった。
城には、古い逸話があった。
昔、気の触れた公爵夫人が城に住んでいて、若い色男をどこからかさらってきては地下の部屋に監禁し、吊るし上げて折檻しては生き血を絞ってバスタブに溜め、その血の風呂に浸かって美肌を保っていたのだという。
それはもう何百年も前の話だが、地下室の拷問室はそのまま残っていて、今も村人は近づかない。
なぜ拷問室が残っているとわかったかというと、何年か前に村の子供たちが数人、遊びの延長で敷地内に忍び込み、一階部分に取り付けられた明かり取りの窓から地下の部屋を覗いたのだ。
子供の話によれば、その小さな窓には頑丈な鉄格子が嵌っていて、薄暗い内部では痩せた裸の男が吊るし上げられていたらしい。
もちろん子供たちはびっくりし、そのまま管理人に見つかる前に逃げ帰ってきたのだが、大人たちは子供たちを叱った後、絶対に口外しないよう約束させた。


君は今日も高い鉄格子の窓越しに、のっぺりとした鉛色の空を見つめる。
既に日付や曜日の感覚はない。
一日の時間の推移は、小さな明かり取りの窓の外の色でわかるが、それだけだ。
そもそも君にとって、「時間」など意味がない。
君はどこにも行かないし、行けないし、君の世界はこの地下の部屋の中で完結している。

城の地下で暮らすようになって、もう何年にもなる。
正確な期間など、もうわからない。
何度か寒くなったり暖かくなったりを経験しているから一年ということはないが、二年かもしれないし、三年かもしれないし、五年かもしれない。
その間、衣服を身に着けた事はなく、体に刻まれた傷跡は増える一方で、減ることはない。
食事は一日に一度、部屋の頑丈な扉の下部に取り付けられた小窓から男の手によって、トレイに載って差し出される。
最初の頃、小窓越しに「あなたは何者か?」とその手の先に向かって尋ねてみたことがあるが、「管理人です」という嗄れた声が返ってきただけだった。
その声は平坦で、何の感情もこもっていなかった。
そして、以来、毎日その男の手は見ているが、会話はないし、顔も知らない。
しかし、君はその見知らぬ男の手によって差し出される食料で「生」を繋いでいる。

「生きている」という感覚はない。
「生かされている」という感覚もない。
君はただ、そこにいる。

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